オーロックスAurochs

1627年絶滅
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オーロックス
LOST ZOOにヨーロッパゾーンがオープンします!

オーロックスはかつてヨーロッパ、アジアと北アフリカに生息した大型の野生牛で、すべての家畜牛の祖先である。野生のオーロックスは後氷河期のヨーロッパで最大の草食獣の一種で、そのサイズは地域によって異なった。ヨーロッパでは北部の集団は南部よりも大型で、北部のオスのオーロックスは肩の高さが155から180cm、メスは135から155cmあった。体重にもばらつきがあり、700kg程のものもいれば中期更新世後半のものになると1500kgを超えるものもいたと推定される。

群がる狼たちを振り払うオーロックスの図 18世紀に描かれたオーロックスの博物画

群がる狼たちを振り払うオーロックスの図
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18世紀に描かれたオーロックスの博物画
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個体差のみならず雌雄差も明確で、メスはオスよりもから だが小さく、角はオスの方が大きく湾曲も強かった。オーロックスの角は雌雄を問わずサイズとその湾曲したデザインこそが特徴で、根元からまずは上向きに外側へ、それから前向きに湾曲し、先端はまた上向きに内側へ、という3つの曲線を描く。角の長さは80cm、直径は10から20cmに達するものもあった。また、オーロックスの強い性的二形(雌雄差)は体のサイズや角だけでなく体の色にも確認される。子牛は栗色で生まれてくるが、若いオスは数ヶ月後に黒褐色から黒色に変わり、メスは赤褐色のままだった。

ラスコーの壁画に描かれるオーロックス ベルリン動物園で飼育され ていた復元オーロックス

ラスコーの壁画に描かれるオーロックス
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ベルリン動物園で飼育され ていた復元オーロックス
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オーロックスは、約200万年前のものとされる化石がインドで見つかっているが、それが最古のものと考えられている。その後、オーロックスたちは東へ西へと移動し約27万年前にヨーロッパに辿りついた。オーロックスの亜種は広範囲に分布していたため3種に分類され、それぞれインドオーロックス、北アフリカオーロックス、ユーラシアオーロックスと呼ばれる。その中でユーラシアオーロックスだけが近世まで生き延びたのである。

ポーランド西部で見られる復元オーロックスの群 16 世紀に描かれたオーロックスの博物画

ポーランド西部で見られる復元オーロックスの群
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16 世紀に描かれたオーロックスの博物画
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インドオーロックスは最初に出現したオーロックスの亜種で、かつてインド方面 に生息していた。4400年前までインドに生息していたとされるこの亜種は、約 6500年前から南アジアの半乾燥地帯でコブウシとして家畜化されていた。化石から考察するにインドではその後2000年間、家畜化されたコブウシに加えて、野生のインドオーロックスの両種が確認されていたことが示唆されている。北アフリカオーロックスは、北アフリカの森林地帯や低木地帯に生息した。もともとは中東を経由しアフリカへと移動してきたのもである。北アフリカオーロックスは、形態的にユーラシアオーロックスによく似ていたが、遺伝子的にも全く別種と言っていい。

オーロックスの頭骨標本@ベルリン自然史博物館 オーロックスの下顎標本 @奥州牛の博物館

オーロックスの頭骨標本
@ベルリン自然史博物館
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オーロックスの下顎標本
@奥州牛の博物館
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古い描写から北アフリカオーロックスの背中には薄い鞍形の模様 があったと考えられているが、中世より前に絶滅したと見られている。次に、ユーラシアオーロックスの分布地は大西洋から太平洋までタイガの森を渡り、ヨーロッパ、シベリアと中央および東アジアの川岸地帯や混交林にまでその分布を広げた。更新世の終わりまでに、ほかの大型動物と同様に個体数は減少したが、ローマ帝国時代にはヨーロッパ中にまだ広く生息していた。ローマ人は競技場で行われるどうぶつの戦いにオーロックスを使うことを好んだようで、その辺りから人間による乱獲が始まり絶滅への一途を辿ることとなる。13世紀にはごく少数の オーロックスが東ヨーロッパに存在するだけとなった。数が減少するにつれ狩猟はされなくなり、宮廷は管理人を置いてオーロックスが安全に草を食べることができる牧草地までを用意した。この管理人は報酬として地方税を免除されていたし、オーロックスを密猟した者は死刑が科せられたというからその保護態勢は相当のものである。1564年には38頭が確認されていたが結局オーロックスを絶滅の危機から救うことはできず、最後に確認されていた1頭も1627年にポーランドにあるヤクトルフの森で死んでしまった。絶滅の原因は長年にわたっての乱獲圧はもちろんだが農地開拓によって生息地の減少したこと、そして家畜牛からの病気が感染してしまったことも影響している。約8000年前に中東と、おそらく同時期に極東でも、ユーラシアオーロックスは家畜化され現代のタウリン牛の原種となっている。2013年、食糧農業機関は全世界の牛の数を14億7000万頭と推定した。これは家畜化された哺乳類種で最も多い数である。

オーロックスの全身骨格標本 @コペンハーゲン自然史博物館

オーロックスの全身骨格標本 @コペンハーゲン自然史博物館
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今では多くの動物園がさまざまな品種の牛、特に地域ごとに珍しい品種を飼育している。一部の動物園では1920年代にドイツのヘック兄弟が挑戦したように、オーロックスのような牛を復元させるような試みも行われている。ヘック兄弟は、原始的な家畜牛には毛皮の色や毛の構造、角の形や行動面などにおいても野生のオーロックスの特徴が残っていることに気がついた。何世代にもわたって異種交配を繰り返し、オーロックスに類似した個体だけを繁殖に使用した結果1930年代の終わりには、多数のオーロックスに似たウシが飼育されるようになった。それは元々オーロックスの生息地であったポーランドと東プロイセンに再導入され、第二次世界大戦まで生き残ることとなる。大戦中にはほとんどの群れが射殺され、ベルリン動物園で初期から飼育されていた群れもその例に漏れなかった。しかし、ミュンヘン動物園のオーロックスの小さな群れは生き残ったのである。

LOST ZOOオーロックスの放飼場風景

LOST ZOOオーロックスの放飼場風景
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もちろんこれは 本当のオーロックスではなく、オーロックスの姿をした家畜ウシということになる。それでも、その形や色、行動から、かつてヨーロッパで最大の野生哺乳類の1種であった、野生のオーロックスの生きた姿を想像させる。もちろんこうした 絶滅種の復元という取り組みは、そこから派生している現存種たちを保全しながら交配することによって可能となる。まさに、数十年にわたって家畜の進化を研究し続ける正田陽一先生をも魅了する人間の文化の粋とも言えよう。また、多くのウシたちの祖先とも言えるこのオーロックスが正田先生のお気に入りであるのは無理からぬことである。そして我がLOSTZOOが復元種ではない、本来の野生 オーロックスを飼育展示していることを誇りに思うとともに、正田先生をはじめとした多くの読者たちの来園をこころよりお待ち申し上げるものである。

LOST ZOOキュレーター ユルゲン・ランゲ

オーロックス
  • 草食動物のオーロックスは、ヨーロッパ、アジアと北アフリカの大草原地帯やタイガ、川岸地帯や混交林に生息した。その広範囲におよぶ分布のため、インド、北アフリカとユーラシアの3つの亜種に進化し、それらはヨーロッパ最大の草食動物の一種であった。オーロックスは、すべての家畜化されたタウリン牛の先祖である。インドの亜種はコブウシのようなウシに、ユーラシアの亜種はそれ以外のあらゆる種のウシが家畜化された。インドの亜種は約4400年前に、北アフリカの亜種は中世前期に絶滅した。ユーラシアの亜種だけが東ヨーロッパで保護されたため1627年に最後のメスが自然死するまで生き延びた。
  • 体高:オスは155-180 cm 、メスは135-155 cm、広い分布の中で南部のものは小型
  • 体重:約700 kg(成獣のオス)
  • 角:長さ80 cm、直径10-20 cm
  • 生息地:ヨーロッパの湿地帯、川岸地帯や混交林。夏は主に草を、冬は葉っぱを採食した。
  • 絶滅:2500年前にはすでにギリシャ南部から姿を消した。13世紀までにオーロックスの分布範囲は北東ヨーロッパだけとなった。1564年には38頭が確認されていたが、1627年に最後の1頭がポーランドで死んだ。
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