バライロガモは大型の潜水ガモ(水に潜って捕食するカモ)で、額部分の黒い線と胸から顎にかけての黒みがかった茶色のラインを除く、頭部全体から首にかけてバラのようなピンク色をしていた。オスは全体的に黒みがかった茶色だが、風切羽と翼下面はピンクがかった色である。クチバシはピンクっぽい赤色で、目はオレンジ色をしていた。現代で見かける近縁種とは全く異なる容貌のカモだといえる。メスもオスと体つきは変わらないが比較的全体に茶色っぽく、ピンク色の部分も白みを帯びてやや淡い印象である。喉や額部分に黒いラインが入らないのもメスの特徴だ。雌雄どちらもクチバシは細く、首は細長く、足はカモにしては長く、体はがっしりとしていて、尾が短い。
バライロガモの剥製 (画像をクリックで拡大表示)
バライロガモ最後の一羽は1935年にインドのビハールにて、ダージリン博物館の学芸員によって狩猟されたものとされている。彼の猟犬がその獲物を回収して持ってくるまで、その学芸員は自分がどんな鳥を仕留めたのかすら分からなかったらしい。インドのガンジス周辺の草原、バングラデッシュ、ミャンマーの湿原などの一部でもかつて発見例があったようだが、その全てを含め1950年代には確実に絶滅したと考えられている。多くの絶滅種がそうであったように、バライロガモもまた、乱獲や環境破壊が主な絶滅要因だとされる。
インドにおいても特にありふれた身近な種ということはなくそれなりに珍しい鳥だったはずだが、バライロガモはその有名な美しい色のため、絶滅してもなおインドの鳥類図鑑の表紙などになっている。
19世紀末から20世紀初頭までは数羽のバライロガモが動物園の水禽舎内や、ときには個人の鳥コレクションとして飼育されていた。しかし、飼育下で繁殖することは一度もなく、自然界で絶滅した4年後の1939年に、最後の一羽が亡くなった。
ヨーロッパで始めてバライロガモを飼育したのはロンドン動物園で、ペアで飼育していた。1874年1月に導入されたペアはほんの数年しか生きなかったが、1887年以降にイギリスの動物業者がイギリスへいくつものペアを輸入した。その後、しばらくは輸入が滞ったが、1925年にイギリスのフォックスワーレン公園に5羽のバライロガモが導入された。4年後には更に10羽(ほとんどがオスだったようである)がイギリスに輸入されたという記録も残っており、この内の2ペアを1929年に有名なフランスの鳥類学者のジャン・デラクールが入手した。これが最後まで生き残ったバライロガモとなった。
1907年5月にベルリン動物園にも動物業者のハーゲンベックを通じて一羽のオスが導入されたことがあった。しかし、このバライロガモは1908年8月には死亡した。しかし、この個体については実は面白いエピソードが二つある。この頃2羽のバライロガモがインドのカルカッタ動物園から姿を消しており、上述の某有名な動物業者のオーナーがちょうど時を同じくしてカルカッタを訪問していたという話。そしてもうひとつ、このバライロガモがベルリン動物園に到着した際、当時の園長がこのように「あたかも美しいであろうと想像をかきたてる」色鮮やかな名前の鳥が、実際は頭部が淡いピンク色をしているに過ぎず、そのほかの体は実にありふれた茶色をしていることに激怒したという話。実際、立ち居振る舞いも実にありふれたカモのそれであり、お世辞にも優雅で美しい鳥だと来園者は思わなかったようである。しかし、少なくとも珍しい鳥だったことは間違いない。
今日、世界中15館におよぶ自然史博物館で71羽の剥製が存在している。その中で最も古いものは1825年にパリ博物館に収蔵されたものである。
我がLOSTZOOで動物園としては実に75年ぶりにバライロガモを飼育できることをとても光栄に思う。園内の南アジアエリアにある大きな湖で、このカモたちをご覧いただけるだろう。当園ではどうぶつの生息地の自然環境を再現することを重要視しており、ここでもバライロガモが身を隠せるような長い草などが湖の周辺に植えてある。来園者にとっては、どうぶつを見つけにくく感じるかもしれないが、どうかその点はご容赦願いたい。
LOST ZOO バライロガモの放飼場風景 (画像をクリックで拡大表示)
LOST ZOOキュレーター ユルゲン・ランゲ